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・1993年の訪中が問題になっている際、「自分たちは行きたい」と発言(p142)
→宮沢政権は国民の反対を「天皇陛下が望んでおられるから」との発言で押し切り、
天皇・皇后の希望を優先(p144)
・ベルギー王室の葬儀出席を口実に訪欧し、認証式の関係で細川政権誕生を4日遅らせた(p144)
→国事行為よりも「ロイヤル外交」を優先(p145)
・1991年宮沢政権誕生時、国際周産期学会とレセプション出席のため、
認証式を夜9時まで遅らせた
→学会会長が皇后の手術執刀医&紀子妃出産の担当医だったため「ぜひともお祝いに
いきたい」ということから (朝日新聞皇室記者が『文藝春秋』にも記している)(p145)
・天皇は相談されても「どうだろうな」ということが多く、結局は皇后が決めている(p146)
・紀子妃が秋篠宮の髪を直した写真を撤回させた事件
→皇后がああいう写真はよくないと言って引っ込めさせた(p149)
・皇后は女性誌であれ一般週刊誌であれ、テレビの皇室番組であれ、
「ここは事実と違う。どうしてこういうことが正されないのか」と頻繁に言う
→自分の理想とする皇室像にそぐわないものを排除しようとする
・皇后が皇太子妃時代に常陸宮と皇居で聖書購読会を主催→教養として
聖書を読むのはよいが、宮中でキリスト教を講義するのはやめよと昭和天皇が注意
→天皇に叱られたショックから失声症になった
→このことを松本氏が雑誌に書いたところ、宮内庁から編集長宛に
「書かないでもらいたいのです」と圧力(p150-151)
・1993年の訪欧時、皇后が「バチカンにはどうしても行きたい」といって訪問し、
フランスの修道院で修道女と二人だけで礼拝した(p155)