12/08/15 00:50:13.89
<今上天皇の発言>
平成13年(2001年)12月18日、天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において、
今上天皇は翌年に予定されていたサッカーワールドカップ日韓共催に関する「おことば」の中で、
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
韓国とのゆかりを感じています。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。
また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。」との発言を行った。
この発言は日本では特に話題とならなかったが、韓国では大きな反響を呼び、
「皇室は韓国人の血筋を引いている」、「皇室百済起源論」「日王が秘められた事実を暴露」などの
発言意図から逸脱した報道も多く行われた。
なお、今上天皇は平城遷都1300年記念祝典の挨拶でも、百済とのゆかりについて
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
同様の趣旨を発言している。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
これらについて水野俊平は、自著の中で朝鮮半島からの渡来人による古代日本における影響の
大きさを認めつつも、彼等の日本社会への同化の程度も大きく(生母の高野新笠は百済系
渡来人の武寧王から10代目であり、しかも6代前に日本名(和氏)にして帰化もしている)、
果たして彼等をして「韓国人」と見てもよいかどうか、またそもそも和氏が武寧王の子孫であるか
どうかも学術的に少なからず疑義を持たれていることを指摘している。
桓武天皇の生母である高野新笠は百済武寧王を遠祖とする渡来人和氏の出身という記述が
続日本紀にあるものの、実際に武寧王の子孫であったかどうかは朝鮮側の資料から見ても
不明瞭であるため疑問視する学説もある。