12/07/12 23:10:34.70
前スレ783の続きです。書き込めなかったので、「プリンセス物語」
雅子さま、1年生の3月の同じ頃、世田谷区の田園調布雙葉学園の小学2年生の編入試験を受験。優美子さんも小学校からここに編入、
祖母の江頭寿々子さんも系列校の雙葉学園の出身。優美子さんは「一貫教育で自主性を活かしてゆっくり育てたい」と入学を考えていた。
試験を終えた雅子さんは、母に、「学校の入学式って何?運動会って、何するの?問題の後に『答えを述べよ』と書いてあったんだけど、
(述べよって)どう言う意味?」数日後、編入試験の結果は不合格という通知。雅子さんはしょんぼりとして、「やっぱりね、何となく
そんな気がしたわ。何もわからなかったんですもの」と言ったという。
2年生になってすぐ、大久保の官舎(8F建、3LDK)に引越し。5月の連休明けから、新宿区立富久小学校に編入。ここで恩師の中坪静子
先生(故人)と出会った。また、学校と並行して、週に1日2時間田雙の編入試験に再挑戦するために、幼児教育の個人塾(四ツ谷)に通った。
編入試験に不合格となって、落ち込んでいた姿を見た夫妻は、雅子さんを励まし「合格が子どもの自信に繋がるのなら」と再度、編入試験を受け
させようと思ったそうだ。
2年生の8歳の誕生日頃は将来の夢は獣医だった。
自宅の誕生会に呼ばれた一人は、「家の中が片付いていて、見たことのない食器や家具、英語の本がありました。まるで映画の中のような世界でした。
みんなで発売されたばかりの『ツイスターゲーム』をやって、とても楽しかった」
2月、編入試験に合格。受験したことを友だちに話していた雅子さんは友達に伝えた。「おめでとう」と言われると、寂しそうな顔をしながら、
「ありがとう‥‥‥」とだけいった。
帰国後1年の間にお手伝いの井上さん、原町小の友達、富久小の友達と3回の別れがあった。