12/07/05 14:18:16.95
文春、買ってきたよ~
雅子様の麗しいお話がいっぱい。
今回はプリンセス物語、ニューヨーク時代編(雅子さまの幼稚園時代)
・小和田家では、家では日本語だけを話し、英語をまったく使っていなかった。
日本人として日本語は何より大切で、忘れないようにという考えからだった。
・雅子様はソ連で覚えて上達したロシア語は、日本語よりうまいぐらいになっていたが
今度は英語を一から覚えなくてはいけない。(雅子さま4歳)
・優美子さんは「日本語でもいいから堂々と話しかけなさい」と言った。
天真爛漫な雅子さまが、初めてぶつかった壁かもしれない。
・優美子さんが作った手作りのケーキ、ババロア、アップルパイなどがあった。
「おいしいね!お母様が作ってくれるのが大好き!」と雅子さま。
・人種差別があり、海苔巻きを手で食べていた雅子さまに、外人の子が
「食べ物を手で直接食べるなんて日本人は汚い!あっちへ行って」とほざいた。
雅子様はショックで、お手伝いさんに「今度はお箸を必ず入れてね」とだけ言った。
・お手伝いさん(井上)が、おにぎりのときに箸を入れ忘れた。
家に帰った雅子さまはとても怒った。子供たちの間で差別的な物言いをされることがあった。
・自宅にはピアノがあり、時折優美子さんが弾いて、その横で雅子さまは大人しく聴いて
いることもあれば、弾き方を習うこともあった。
・日頃の父親の多忙を埋め合わせるように、時間があれば家族で出掛けた。
週末にはドライブ、長期休みには旅行。雅子さま6歳の夏はグランドキャニオン、7歳では
スイスのレマン湖へ。宿泊したホテルで知り合った子供と遊んだ。
冬にはバーモント州のキリントンで、ソ連時代に覚えたスキーをゲレンデで楽しんだ。