12/06/17 22:38:25.24
>>507
ご回答ありがとうございます。
木谷説等は,折衷的相当因果関係説の問題点克服で出発していても,その理論とする母現法にない予見可能性理論を取り込むため,ドイツ刑法通説の「危険の現実化説」から遊離しているやに危惧します。
しかし,これもドイツ刑法と本邦刑法の見解の相違で結論に差異はなく要するに判例を統一的に説明する技法だからでしょう。
ドイツ刑法の「危険の現実化説」は,行為者の主観的要素を因果関係から排除する純客観説に依拠するので,行為者が特に認識予見した事情が排除されるかと思います。
ですが,因果関係は本来客観的になされるのがベストだと私も思いますので,予見可能性の基礎事情は
一般人が行為者だとしたなら認識予見できた事実形象をもとに,その認識可能性と予見可能性の評価判断基準は一般人の認識予見能力
とするのが本当なのかも知れません。
これらの見解の相違が,特殊業過における証拠化レベルの判断では,実は全くないしほぼ同じなので,議論する実益に乏しく,折衷的相当因果関係説で不都合はないものなのです。
ただ,証拠を離れた純刑法理論として見た場合は,興味は尽きません。
ご指摘ありがとうございました。