12/05/12 22:41:28.54
>>609
論理学的にはご指摘のとおりですが事実認定での背理法では「否定できない」という意味に過ぎないので,論述的には弱いと思います。
しかし微妙な同一事実でも地裁と高裁で正反対の結論になるこはままあります。某著名判例のモディファイでは次の例がそうです。
地裁「XX室から徒歩で衆人環視の地下喫茶店で昼休みに赴き堂々と現金を授受したから賄賂性の認識がなかった。」
高裁「XX室から行先も告げずに地下喫茶店に赴き現金を授受してから即座にXX室に戻ったから賄賂性の認識があった旨推認できる。」
反面次の事例はどうでしょう。
上告趣意書案「ドラ●モンが出てきて助けてくれると思った旨認識してたから殺意はなかった。」
かように事実認定は一義的な抽象的論理法則や同規範だけでは説明困難だと思います。
それと,司法試験の論文は結論は決して一つではなく,複数の結論が出て当然の問題ばかりです。
事実認定でも(旧司法試験を除き),諸要素の総合判断では上述のような微妙な事例も多数存在します。
蛸壺型勉強をしていると「結論一個性の罠」にハマるので,勉強方法を再検討されることをお勧めします。
>>610
ご回答はほぼそれでよいと思います。
現実の裁判では,殺意を肯否定する要素として「犯行直後の被告人の外形的言動」として著名です。
ただ誤解して欲しくないのは,殺意認定の多数要素の中の一つに過ぎません。
確度を高めるために前述した多数の要素で慎重に総合判断しないと事実を誤認します。
時速80km/hの自動車で故意にハネて即死したVに人工呼吸をして,業過(今の自過致死傷)を装った保険金殺人すらこの世に存在します。
交通事故でハネた瀕死のVを3分間凝視して即死と勘違いして逃げたという轢き逃げ事案すら存在します。