12/05/12 16:18:07.54
例えば、法務省発表の昨年の新試刑事系第一問の採点実感は、次のように言います。
事実認定上の主な論点として,甲が乙を車から振り落とした行為の擬律判断と,乙
丙間の甲に対する傷害の現場共謀の成否という問題が挙げられる。前者については,
殺人未遂罪の成否を検討すべきであるが,行為の客観面として殺人の実行行為性の有
無を明らかにするとともに,行為の主観面である殺意の有無について論ずる必要があ
る。その際,甲車の走行態様等の諸々の具体的事実を抽出した上,それらの事実が実
行行為性や殺意の認定にどのような意味を有するかを明らかにすべきである。後者に
ついては,乙丙による事前の謀議などは認められないことから,黙示の(現場)共謀
の有無を認定しなければならないところ,乙丙が甲とのけんかに加わった経緯,丙が
乙に助けを求め,それに応じて乙が甲に反撃したことなどの事情を丁寧に検討するこ
とが求められる。URLリンク(www.moj.go.jp)
私は「それらの事実が実行行為性や殺意の認定にどのような意味を有するか」を論じることが、
いわゆる「評価」と思っていました。その際に、弁護士側と検察側で事実の意味の捉え方が
異なることがあると思います。「などの事情を丁寧に検討する」も共謀の有無につき結論が
異なりうるので、同様に考えられます。
刑法を離れると、憲法などでは、露骨に、原告側、被告側、あなたの見解というように、
立場の違いを書くよう求められます。このときに、事実の持つ「意味」について、私は、
その事実につき、このような意味として捉える、いや、あなたはそう言うが、私は、その
事実につき、別の意味で捉える。というやり取りが原告側と被告側でなされると想像します。
これは水掛け論ではないでしょうか。裁判所の判断があるから、それでいいのだということも
考えられますが、水掛け論にならないやりとりを原告と被告の間でやるべきだという考えも
ありうると思います。