12/04/21 11:15:55.87
米国法のように故意の挙証責任を転換するのは、平野教授が昔に賛成してました。
それは自白強要の防止が主眼という歴史的沿革に由来していました。
当時(昭和30年代)の米国(主として南部)や仏国(アルデンヌ地方)では、半ば拷問による自白強要が問題視されるようになりました。
そのため、英米法では、インタビュー(取調べ)やステイトメント(供述調書)はディフェンダー(被疑者被告人)の弁解や自発的自白しか録取されません(取調べフル音声録音)。
その結果、犯罪の検挙率も有罪率も低下(無罪率は10~30%)して治安が悪化し(昔のスラム街が典型)、主として中産階級から対策を求める世論が沸き起こりました。
それで、証拠物や客観記録(盗聴や防犯カメラ)などの客観証拠は令状で容易に入手できる法制で対応するようになりました。
また、王冠証人制度や司法取引(刑事免責)で、共犯者や関係者の自白を偽証罪の制裁圧力の下で強制できる制度も担保されるようになりました。
なお、仏国では、昭和40年代に重罪の予審判事の勾留が無期限となり(裁判官は拷問しない神聖さでまさに人質司法)、日本でいう裁判官面前調書で自白が強要されるようになりました。
また、仏国では、無罪率の高い陪審員制度から参審員制度に法制が変わり、有罪率の上昇を確保しました。
なお、旧西ドイツでは、反テロ法によって、被疑者が潜伏している可能性がある部屋なら、その部屋を含むマンションやビル全部を令状で強制捜索できる制度を創設しました。