12/05/19 01:07:45.96 1frUZ8hH
ラグビースレ見て、ちょっとウィキで調べたんだけど、
「145での敗戦が人気を落とした」っていう意見があるけど、元が元だった気がするな。
ウィキから部分で抜粋
ラグビーブームとは裏腹の日々 [編集]
1970年代後半あたりから、とりわけ大学ラグビーについては空前のブームとなっていった。
一方、日本代表のほうはこの頃、アジア諸国相手にしか勝てないという戦績に喘いでいた。
キャップ対象試合だけを紐解くと、1975年のオーストラリア遠征~1980年まで、日本代表が勝利を収めたのはアジア選手権において3度韓国を破った試合があるのみ。
それ以外の相手となると、1979年の花園におけるイングランド戦の惜敗(19-21)があったとはいえ、1引分を挟んで何と19連敗を喫した。
スコットランド相手に「金星」 [編集]
その8日後、後に「宿澤ジャパン」と称されることになる、宿澤監督初の采配試合となった。
そのため、たった1戦の指揮しか行なっていないにもかかわらず、宿澤は日本のラグビーを変えた、とまで言われるようになっていった。
しかし、その後のカナダ遠征では2戦2敗、翌1990年3月のフィジー戦も完敗に終わる
だがその後、西サモア戦の敗退を含め、テストマッチ5連敗を記録する。それでも宿澤ジャパンに対する周囲の期待を大きく膨らませたまま、1991年のワールドカップを迎えた。
後半はスコットランドの一方的展開。結局、9-47で完敗した。
続くアイルランド戦も…16-32でこれまた完敗。
最終戦のジンバブエは格下と見られていたが…結果、日本は9トライを奪う猛攻を見せ、52-8で快勝。
そして2011年のワールドカップ終了時点で、日本がW杯で挙げた唯一の勝利ともなっている。
この次の大会で「145-17」ってなって、世界のプロ化の流れと人気低下となるってのが定説だけど、
それまでも負けだらけで、金星はたまーにある位なんだよな。
10戦して二勝八敗、その一勝が二軍相手の金星って感じのペース。
大学ラグ人気で引っ張ってた感じだけど、スポ根ドラマ人気だったんだろうな。
90年代になって、そういうのが受けなくなって下地が消えたと。