12/05/19 00:40:51.57 uu1GMPGt
こないだ少し書き込んだ
中公新書「プロ野球復興史~マッカーサーから長嶋4三振まで~」を読み通しました。
著者の山室寛之は読売新聞記者、巨人の球団代表も務めたひとで、
中公新書も今は読売新聞社の傘下ですから、
当然のように昭和29年の「通達」のことはスルーでした。
(これがないと球団数が12で固定される動きが正確につかめないはずなんですけどね)
とりあえず、視スレ的に食いつきの良さそうなネタを抜粋しておきます。
・帯の表紙側:「野球界も日本も もっとも元気だった頃」
・帯の背表紙:「なぜ日本では野球が国民的スポーツなのか」
・帯の裏表紙:「昭和とは、日本人すべてが白球に夢を託す時代だった」
・戦前の文部省の批判:「少数の選手が校庭を独占し、
一般学生は声援を送るだけで心身鍛錬に役立たない」
・「新聞の共催は中学野球(現:高校野球)を興行化させる」(占領軍体育担当少佐ノービル)
・野球脳教授のエピソード:授業前に野球部員をそっと呼びつけ質問と答えを教え、
授業中に同じ問いかけをして褒めた。
「よく出来た。うん、そうか君は野球か。あんな厳しい練習をしながら、本当によく勉強しているね」
・「野球が上手な少年に不良はいない」(3Aサンフランシスコ・シールズ監督オドール)
・その3Aチームと対戦したプロ野球は全敗。ラビットボールに慣れた日本の選手は米国製の球を打てず。
・戦後初のプロ野球の試合時間が1時間43分(スコア5-3)。初の完全試合は1時間17分。
・章題「GHQが進めた野球国際化」
・章題「国際化、組織化すすむアマ野球」
・野球養子(高校野球で強豪校の学区に入るために、そこの住人と養子縁組すること)
まあ「正史」ですので頭から信頼するのは危険ですが、
最初からまともなホーム&アウェイの概念やら育成の概念やらはなかったのがわかって、
そこそこ読み甲斐がありました。
明日土曜日はちょっとしたイベントごとが起きそうです。