12/01/03 06:18:17.15 LTeLqmgs
ずっと昔、私の父親が若者だった頃、「浪曲」というジャンルの
文芸(あるいは音楽ないしは話芸)が一斉を風靡した時代があった。
話に聞いただけだが、年頃の男の子なら誰もがちょっとした浪花節の
一節を暗記しているみたいな、そういう時代があったらしいのだ。
その浪曲が、私の世代では、ほぼ完全に消滅していた。
だから、私の記憶では、浪曲は、爺さんの趣味以外のナニモノでもなかった。
迷惑だった。今の子供には、おそらく、野球がそんなふうに
見えているのだと思う。年寄りが大好きなぼんやりしたスポーツ。
七面倒くさくてやかましい、人間の双六みたいな奇妙なゲーム……と、
そんな感じだろうか。
キャッチボールをしてみればわかる。というよりも、われわれの世代の男が、
いまの子供たちとキャッチボールをすれば、間違いなく衝撃を受けるはずなのだ。
このことについては百パーセント保証する。
なにしろ、いまの子供たちの基本は「女投げ」
(←我々の世代では、運動の苦手な女の子の特徴であったみっともない
ピッチングフォーム。具体的にはヒジが使えていない、
砲丸投げライクな投げ方)なのだ。だから、10メートルも離れると、
ボールの受け渡し自体が成立しない。互いにストライクが投げられないからだ。
もちろん、ゲームなんかまるで成立しない。第一に、ストライクゾーンに
投げられるピッチャーがいないし、第二に、一塁に投げる送球の半分以上が
悪送球だからだ。ついでに申せば、第三に、そもそも二つのチームを
作るだけの頭数が絶対に集まらない。まあ、集まってもフォアボールと
エラーと悪送球と振り逃げで、一回の表が終わらないわけだが。
運動能力の問題ではない。サッカーのボールリフティングを
器用にこなす子供はたくさんいるし、水泳のエキスパートもいる。
体操教室に通っていてバック転ができたりする子供もいる。
なのに、その彼らが、マトモにボールを投げられないのである。
ルールも知らない。私の息子も含めて、今の小中学生のほとんどは、
ヒットエンドランの戦略的な意義を正確にわかっていない。
フォースアウト(つまり、タッチプレーとフォースプレーの違い)を
理解している少年もほとんどいない。
ということは、野球をすることのみならず、見ることさえ、事実上、
彼らにはできないのである。
野球というのは、失われてみてはじめてわかったことだが、
あれはひとつの言語だったのである。だから、その肉体言語としての
文化的伝習であるところの野球が衰退してみると、われわれの一世代下の
子供たちは、インフィールドフライで帰塁することさえしない、
まるっきりの野球音痴に育ってしまっている。とすると、これは、
視聴率がどうしたとか、スポンサーがどうのといった問題ではない。
野球という文化の、基礎となっているイディオム(慣用句)が、
丸ごと無効化した最終段階にどのような対応をすべきなのかという、
終末医療の問題である。
何度もコピペしたが