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極楽寺
戊辰の役の慶応4(1868)8月26日、極楽寺の僧の内通により西軍が小田山に砲台を築き、
1.6キロほどの鶴ヶ城に連日、砲火を浴びせた。
戦後、この裏切りを知った藩士/武田宗三郎は、謹慎所から脱走し、越後の三条に逃亡
していた僧を見つけ出し、一刀両断にした。
僧は、葦名氏の遠い末裔の1人だった。
しばらく、裏切りの寺といわれていた。
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蘆名の末裔にとっちゃ、高遠のよそ者一族はウザかったんだろうな。