【2013年大河ドラマ】八重の桜 Part73at NHKDRAMA
【2013年大河ドラマ】八重の桜 Part73 - 暇つぶし2ch85:日曜8時の名無しさん
13/07/04 12:23:44.82 L77pKbFO
薩摩エグい。金持ち。幕府はさすがに離島の悲惨さは把握できなかったろう。
>調所広郷による改革の暗黒面
―奄美の奴隷『ヤンチユ』による財政改革
調所広郷が薩摩藩の絶望的な財政破綻を立て直したことは周知の事実で、それが日本の国家の命運を決定していく討幕運動のエネルギーになっていくわけです。
その点で彼の功績が最近見直されていますが、しかし物事には常に陰と陽があるように、調所広郷の改革にもその恥部が付きまとっていることを忘れてはならないと思います。
彼の財政改革の中心的な部分は、琉球を利用した中国との密貿易と並んで、貢献度から言ってダントツに奄美群島の黒砂糖産業にあります。
歴史再発見の『借金踏み倒しが倒幕を可能にした』で言及しているように、奄美群島の人々に黒砂糖の原料となるサトウキビ以外の作物の栽培を禁止し、
生活に必要な米ならびに他の物資はすべと薩摩藩から市場価格よりはるかに高い価格で購入する流通ルートを作り上げ、奄美群島の人々から搾るだけ搾り取ります。
つまり、黒砂糖は当時利潤幅の大きい商品で、奄美群島の実質奴隷身分であった『ヤンチュ』と呼ばれる人々を利用することで低価格で生産させ、それを大阪の市場で高値で換金します。
そして奄美群島の人々には米の栽培を禁止し、米は薩摩藩から通常の市場価格より高い値段で売りつけます。
今回は調所広郷の薩摩藩の華々しい財政改革の裏で、塗炭の苦しみを強いられてきた奄美群島の人々、
特に一種の奴隷的身分の人々『ヤンチュ』の存在を名越護氏の『奄美の債務奴隷ヤンチュ』(南方新社)を通して紹介しておきたいと思います。
奄美群島は、もともと薩摩藩よりは琉球王国との関係が深く、人々の生活は琉球の風習の影響下にありました。
薩摩藩が徳川家康の承認を得て琉球征伐を行うのは1609年のことです。これにより、琉球は中国交易の目的のために名目上の独立を行わせますが、その影響下にあった奄美群島は薩摩藩の完全支配下に組み入れられます。
このときに琉球と奄美群島とが政治的に切りはなされたわけです。


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