13/07/01 22:22:47.21 4wO0b0Hj
>>435
明治3年頃の福井藩は、知事家族(華族)6人、士族4819人、卒7326人の合計1万2151人が士分
武家の兵力としては大体3000人で、
規模としては会津藩(士分2万~2万3千人、武家の兵力5000人強)の半分程度
ただ武備に関しては、戊辰の時点でエンフィールド銃2200挺(先込)、レミントン銃680挺(後込)、
歩兵銃136挺、合計3026挺と、兵士当たり1挺以上の洋式銃を持っていた
また蛤御門の変で覚馬が鷹栖邸に砲弾を撃ち込む場面があったけど、
この時会津勢の大砲は伏見方面に出ていて、覚馬らは福井藩から借りた大砲でこの手柄を立てている