13/07/01 14:50:23.26 HqkE5RfW
>>310
その考えは、時勢を見極め新政府側についた日本中の多くの藩をバカにしてる。
例えば、会津を攻めた土佐藩の山内容堂なんかは越前の松平春嶽らと鳥羽伏見の戦い前は
大政奉還した慶喜を新政府に参加させるために必死に動き、薩長派を退け、慶喜が薩摩の
挑発に乗って鳥羽伏見の開戦に踏み切らなければ、慶喜も参加する新政府になる状況だった。
しかし慶喜は鳥羽伏見の開戦に踏み切り、しかも敗れたことにより状況は一変した。
その時点で会津を攻めることになる土佐藩同様、御三家や親藩・譜代大名も大半は
新政府側についた。
会津の玉砕戦が郷土の誇りと思うならそれはそれでいい。
個人的には、避けられた戦いで女子供を含め、たくさんの人が死んだことが気の毒
としか思えない。