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「八重の桜」の宣伝では、新島八重が「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれた、とされている。
誰が初めてそのような呼称を考えついたのだろうか?
ジャンヌダルクには
①百年戦争において、イギリスという外国からの侵略に立ち向かった
②フランス全軍の象徴的存在であった
という大きく二つの特徴がある(戦場で武器をとり勇敢に戦った女性であれば、ジャンヌダルクに限らず数多く存在する)。
新島八重は会津のために武器を取って自ら戦ったが、この戦いは外国人の侵略ではなく、日本人同士の新旧勢力の戦いだった。
また、新島八重が会津藩全体の精神的な支柱、象徴であったとの記述も見あたらない。
以上のようにジャンヌダルクの大きな特徴2つを有していない。
番組の宣伝のために、このような安易な呼称が用いられているとするならば、新島八重の本当の魅力を誤って伝えかねないと思う。
新島八重だけでなく、ジャンヌダルクの事跡も勉強された上で、このような呼称が、公共放送の宣伝として適切か再考されるべきと思うが、どうだろうか?