13/03/01 01:01:45.35 wLUd+4NN
>>652
鎖国を完成させたのは三代将軍家光で、
言わば朝廷から現実政治を任された幕府の執行権の範囲でやった事。
そこの所は、吉田松陰処刑後の長州藩を大目付として一時リードした長井雅楽が、
安藤老中政権の幕府と朝廷の融和策・開国通商主義を主張する際に公家方に説いていて、
長井は、公家方はそもそもそういう事だとも知らずに
あたかも神代の昔からの如く攘夷を唱えていると言い残してる
つくづく生まれる場所を間違えた人である
朝廷による政治干渉は阿部正弘が穴を開けて
堀田正睦がブチ開けたと言うのしは確かなんだけど
現実に列強の脅威が迫っている時に、国策の最高レベルの、しかも言ってる内容が現実的に考えて危険過ぎる、
儀式を超えた政治権力を、幕府以外の武家との交渉でしかも次期将軍と言うポストを絡めて
発動させた事が最大の問題だった、言ってしまえば外交を政局にした謀反だったと言う事で
>>658
松平容保の京都守護職が続く中で、江戸の会津藩邸と江戸城老中の関係は最悪。
会津藩は老中からは出入り禁止の上に京都守護職としての費用負担も打ち切られてる。
これは松平容保が孝明帝の意を受けて開港消極論に傾いた事も含め
そもそも朝廷任命に等しい後見職の一橋慶喜共々、孝明帝の個人的信任を受けた松平容保も
江戸の幕府を預かる老中から見たら一体どっち側の人間なんだと思われたから。
結果、藩の資金をバカスカ食って主家で現政府である江戸の執行部からは嫌われ
帝の信任厚き殿のお膝元京の都で新選組の様な正規の武士から見たらゴロツキ秘密警察を雇って
自分らが日本を動かしているが如く振る舞う、そんな会津藩京都公用方に
会津藩の江戸・国許から批判の意見書が出される代理戦争の様相を呈してる。