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ウィリアム・ウィリスの日記によるヤーヤー一揆
「負傷兵の治療にできるだけ専念するため、わたしは若松郊外の或る村に宿泊
することにした。その村には大勢の患者が収容されていたからである。わたし
は村の長の家に部屋をあたえられた。そして、付近の村での治療をおえたので、
今度はもうすこしはなれた村に宿舎を移そうとした。ところが、そうしない方
がよいと説得された。その地方はまだ落ち着きをとりもどしていないので、い
つ危険に遭遇するかもしれないというのであった。」
「この日、おそくなってから、農民が各地で暴動をおこしていることを知った。
夜になると、四方八方から大勢の群集のたけり狂った叫び声がきこえてきた。
さまざまな方角に大きな火の手が上がるのが見えた。午後十時ごろになると、
暴動をおこした者たちが、わたしの泊まっているところから約半マイルはなれ
た村まで接近し、そこの大きな家のひとつに火を放った。かれらはたえず大声
でわめきつづけ、たいへんな興奮状態におちいっている様子であった。」
「わたしは騒動の原因が何であるのかを知ろうとして、村役人の主席を呼んで
聞いてみたが、何もわからなかった。ただ、この男は、襲撃をうけた場合、わ
たしとわたしの所持品を守ってやることはできないとはっきり言った。」
「そこで、自分は会津の人々を助けるためにできるだけのことをしようと思っ
てここに来たのだから、かれらとの衝突はどうしても避けたい、わたしとわた
しに同行している者の荷物を運んでくれる方法を見つけてくれれば、われわれ
は若松へ行こうと、この役人に提案した。」
「しばらくすると、二頭の駄馬がつれてこられた。われわれはこれに荷物を積
んで、村をあとにした。若松へ向う途中、この騒動が広い範囲にわたるもので
あることがわかった。暴徒たちにとっては夜の闇と、この一昼夜振りつづけて
いる吹雪が好都合のようであった。」
「翌朝、前夜立ち去った村にもどってみると、わたしの泊まっていた家は瓦礫
の山と化していた。われわれが出発してから三十分も経たぬうちに、鋸やその
他の刃物を持った四、五百名が押し寄せてきて、すぐさま略奪と家のぶちこわ
しにとりかかったそうである。さらにかれらは近くの蔵に押し入り、その中に
あった書類をすべて持ち出して、家の前に積み上げ、焼き捨ててしまったそう
である。昨夜は何も知らないと言っていたあの村役人も、いまでは万事を理解
したようである。かれはわたしが昨夜立ち退いたおかげで、わたしの心配をす
る必要がなかったことを感謝していた。そしてこれが騒動の原因だといって、
焼き捨てられた書類の灰の山をさした。問題の書類は、会津藩政下の土地の課
税額を定めた記録であった。」
「この村役人のはなしによると、会津の農民は、以前の領主が反逆をくわだて
た結果、いまや自分たちは御門の小作人になったのだと考えており、そこで自
分たちの土地についての新しい且つ公正な課税額を要求しており、この目的を
達成するため、土地課税に関する一切の書類をあらゆる村から抹殺しようとし
ているのだという。」
「この騒動は、会津全土にひろがっていた。若松から遠く離れた地方では、農
民は昼間から暴動にたち上がり、村の長の家に押し入って略奪をはたらき、そ
して、かならず土地に関する書類を焼いた。」
「二、三の例外をのぞいて、この暴動のさいに流血の惨事があったということ
を聞いていない。その例外というのは、農民たち自身が設定した破壊と暴行の
限度を超えて暴走した仲間を、自分たちの手で殺したいくつかの場合である。
この騒動が農民以外の階級のあいだでどの程度受け入れられているのか、注意
ぶかくしらべてみたが、非常におどろいたのは、農民たちの行動は正しいとい
うのが一般的な空気であったことである。そして、農民たちもこのことをよく
自覚していたらしく、前にも述べたように、若松から遠く離れた地域では、か
れらは昼間から暴動に起ち上がったのである。」