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新王朝、新都福原での清盛による軍事独裁は、準備不足と東国の反乱へ対処するために
挫折したが、還都後は西八条を中心に新新都づくりに着手し、新王朝安定化への意欲は
いささかも衰えていない。
「清盛は、園城寺、興福寺を含む南都を焼討ちする。平氏政権に反抗する勢力を徹底的に、
討ち滅ぼすことにより、いっそう強力な軍事独裁政権をたちあげたのである。
しかし、南都焼き討ちから2か月余りのち、清盛が熱病によってあっけなく死ぬと、
周知のとおり、平氏政権も消滅へ向かうのであった」(『図説平清盛』)
>>749の言うように、朝敵、仏敵として破滅に突き進むどころか、最後まで
ひたすら前向きにやる気まんまん(時をたつのも忘れて目の前のことに夢中になる
~遊びをせんとや生まれけん~だった清盛が急逝したことが何よりも痛い。
後継者の力量不足も清盛急逝の無念さをいっそう強めている。
ドラマでも清盛は最後まで精力的に動きまわると思われる。