12/09/05 12:36:11.93 3wDUpXVn
平家は富士川の戦いでガタガタになったわけではまったくなく、その後も
大黒柱清盛を中心に平家の存在と平家軍の精強ぶりを見せつけている。
なので、富士川は「戦術的撤退」といってもいいのだが、問題はこの敗戦を受け止めた
彼我および民衆のイメージ。
権威失墜は否定しようもなく、平家支配体制への微塵も揺るがぬ自信を見せる清盛も
ここのところをひどく憂慮したのだろう(いかなる体制変動も対抗勢力および被治者が
抱くイメージ抜きには語れない)。
平家は一蓮托生をしつこく唱えつつ、現実は理想のようにはいかない、という
ジレンマを今からしつこく強調しているのは良い描き方だと思う。