12/08/06 22:19:24.55 SYT3bayt
滋子の婚礼プロデュースは後白河のご機嫌をとるためと時子に囁き、
今回の蓮華王院造営も重盛の疑問にはっきりと後白河懐柔作戦の一環と答えた。
つまり清盛は若き日からの激情や旺盛な好奇心はそのままに、ただの善人では
ないしたたかさ、ダークな面も出してきた。
こういう面は先天的な素質ではなく、政治家として失敗を重ねながら身につけていくものだ。
若き日の青臭さに始まり、棟梁としての拙さ、政治家修行中の理想主義の挫折を経て、
遅れてやってきた政治家清盛はようやくお馴染みの権力政治家清盛へと近づいてきた。
このように清盛の成長と成熟は、脚本と演出によって非常に長いスパンで周到に計算
されたものであり、それが見事に実を結びつつある。