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アバン なしで本役頼朝伊豆ライフより第三部開始 清盛のふしぎなおどりで扇ズサーがOPに
平家&朝廷サイド
清盛は日本地図(当世仕様)を広げ、息子、弟、郎党ら一門に、博多から瀬戸内海経由で都まで直接唐船を運行する、海上貿易を
やるぜぇ、とプレゼンしていた。ほっぺ赤い石黒宗盛とデカイ小柳知盛は良く分かってない様子だが、兎丸は都近くに唐船通せる港なんざ
ねぇ、狭い瀬戸内海なめんなアホと突っ込むが、清盛はだったら大輪田泊に港作ればいいじゃない瀬戸は掘ればいいじゃないと大規模
にも程があるビジョンを語るのだった。しかし、マジレス主義の嫡男重盛は、そんな勝手な計画、公卿に反対されるに決まってますよ?
あと宗盛ちょっと黙れと冷静な意見を述べた。また内裏では二条帝に待望の皇子、順仁が誕生。一方、後白河上皇は政から退けられ、
仏道にのめりこんじゃったりして不満をくすぶらせていた。そんな上皇だったが、先週五部大乗経をお破り遊ばされた憲仁ちゃんとヨメは
可愛いのだった。ヨメの義兄、清盛が謁見に現れ、千手観音を千体作ったが御堂がないという事態に、ハコなら任せろ!と蓮華王院を
ドーンと献上。これに狂喜乱舞(※様子はご想像ください)した上皇は、帝に見せ付けてやろうぜ!と気分を良くした勢いで清盛に褒美を
与えた。その内容は28歳の重盛を参議に列する事だった。関白基実にとっては重盛は義兄である。清盛は上皇の機嫌取りを利用して
摂関家とも与してゆくという、地位固めに入っていった。一方、平家の正当な血統である頼盛はその不遇を嘆く宗清の愚痴を聞いていた。
池殿は苛立ちは表にしないが、最愛のママン池禅尼が病に臥した。ところが上皇は蓮華王院に二条帝が全く御幸されず、ガン無視なので
大激怒。清盛は二条帝に嫡男が参議に列せられたことを報告するが、そこで重盛は果敢にも、上皇の蓮華王院にお渡りあそばれませと
提言。帝はあんな奴パパだと思ってないし、と孝道はどこへやらで怒ってしまった。清盛は、重盛の発言に、俺が二条親政を貫きつつ、
どんだけ苦労してアナタコナタしてるかわからんかー!と声を荒げたが、重盛も負けじと反論。上皇の近臣成親の妹を妻とする重盛にも、
あんなだが上皇への忠義があった。重盛は経子を傍に、保元の乱の前、鳥羽法皇と崇徳上皇の仲を取り持とうとして失敗して崇徳上皇を
敵に回し、戦後処理で自ら忠正叔父を斬り、と修羅の道を行くトーチャンなんやで…と録画でも見てきたかのように話すのだった。嫡男反抗期
にフテくされた清盛に、盛国は重盛の成長に感慨深くなっていたが、あんな青臭くねー!と言って盛国に鼻で笑われた。また、六波羅に
祐親が現れ、盛国がその呼び決定なのか佐殿こと頼朝の様子を聞くと、あー地味にしてますというが、事態急変。二条帝が病に
倒れた。急ぎ参内した清盛は、二条帝から順仁に譲位すると聞く。そして乳飲み子の六条帝が誕生、二条帝は23歳の若さで崩御した。
内裏に公卿達が集まる中、突如、鉦と太鼓の音が鳴り響いた。延暦寺天台座主明雲率いる悪僧たちのデモンストレーション弔問であった。輿に
乗っていたのは上皇で、我が子を哀悼したかと思いきや笑い出し、打ち鳴らして弔ったるわーとやりたい放題。と、清盛が馬鹿力で輿を
押し戻し、明雲を黙らせた。清盛は赤子のテメーに政させられるか!俺は亡き帝の志守るぜ!とキレイな忠義を宣言したが、上皇は清盛の腹の
内を理解した。六条帝は後ろ盾のない乳飲み子。上皇は高笑いで去った。父の姿に重盛は父上支えよう…と胃潰瘍コースを選択した。
清盛は基実に大納言に任ぜられ、宮中での地位を着々と上げていった。そして池禅尼が子、孫らに囲まれ、頼盛に「平家の血を絶対に
絶やすなよ」とトドメを刺し、その長い生涯を終えた。
源氏サイド
伊豆蛭ヶ小島に流された18歳の頼朝は、小屋で写経に明け暮れるまっったく変化のない日々を送っていたが、頼朝の家人で髻も\オープン/な
能天気男・塚本籐九郎の明るさに救われていた。しかし、目付峰伊東祐親は、武勇に優れた上総の御曹司がすっかりもやしっ子だよねと厭味を
欠かさない。頼朝はカコイイ父上もスパルタ母上も、あと清盛も、ポワ~ンと忘れたように過ごしていた。祐親が大番役で都に昇ることとなり、家人たちに
佐殿から目を離すな!と念を押すが、愛娘八重姫には相好を崩して出立した。また、頼朝に地元の豪族の湯けむりスナイパー北条時政が野菜を
分けてくれた。と、籐九郎が母の形見の笙を発見。そこへ祐親の家人やべ伊三郎が、都育ちの佐殿から八重姫に教養計画を持ち出してきた。が、
頼朝が笙を吹くと、八重姫と遭遇。父より授かりしイケメンDNA(身分が低かろうが何だろうが女子から勝手に惚れてくれる)が発動。懇ろな仲になって
しまうのであった。
おまけ 来週は男子マラソンにつき休みのため為朝が頑張るらしい