12/06/21 09:06:07.13 iot+q8Ki
>>955
調べた後でフィクションを描くか、調べる前にフィクションを描くかの差だと思う。
司馬は調べた後にフィクション描いてるから、理想像に遠く都合悪い史実は最初から隠せる。
調べる前から考証に教わりつつフィクション書くとイメージが固まってないから
考証の持つ清盛像そのままのイメージと、脚本家家のイメージが一致しない不安定なイメージのまま物語が進む。
考証が「清盛は悪人に書かれる事が多くて…」と語ると、脚本家は「清盛善人説は新しいのか!」と受け取り間違いするなど
少しの認識ズれが物語の進行につれ大きなズれになっていくんだろうね。
伝と江も、脚本家と考証のイメージ不一致が元で登場人物のイメージが不安定だったと思うけど。