【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart19at NHKDRAMA
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart19 - 暇つぶし2ch850:日曜8時の名無しさん
12/06/25 10:34:01.61 6E3Kb2wt
24回の「大宰府 官邸」と海辺表現についてNHK擁護派の方の
反論も踏まえた上で核になる論点のみに絞ったものです。

官邸とは三省堂の大辞林によれば

1.かんてい【官邸】
大臣・長官など、高級官僚の住宅として国が用意した邸宅。
官宅。公邸。⇔私邸 

ポイントは、国が用意することであり、院政期にはあり得ない
状態なのです。朝廷が大宰府政庁すら再建しない(できない)
状態だからです。官邸の定義を現在の定義と変えて
「私邸でも業務に使えば官邸」とすればあり得るでしょう。

また、院政期は原田の私邸が大宰府の行政の中心だったでしょう。
平家の六波羅のようなものです。そして、原田の私邸は大宰府
郊外の原田にあったことは史実です。だから原田種直は父の代
までの代々名乗っていた大蔵から原田に名乗りを変えたのです。

ですから24回の会見シーンの場所のテロップを正確に書いて、
「博多 大宰少弐 原田種直の邸宅」とすべきだったのです。
これであれば海辺のシーンでも問題はなかったのです。

しかし、あえて「大宰府 官邸」とした意図を考えました。
それは、「原田種直を武士としてではなく、税を横領する
出先機関の悪しき官僚として描きたかった」ということだと
推測します。それは、原田種直が武士でなく公家装束だった
ことからも言えるでしょう。しかも、あのシーンでは
清盛が出入り口に近い下座にいました。官位からすれば
本来は清盛が上座のはずです。やはり、公家(官僚)と
しいたげられた武士という構図で描きたかったのでしょう。

しかし、大蔵・原田一族は西日本では最初の武士団を
形成した一族なのです。
実際に大蔵・原田一族は941年には大蔵春実が藤原純友を
大宰府で破り、1019年には「刀伊の入寇」を、大蔵種材らが
防ぐなど坂東とは違う前線で戦ってきた一族なのです。

また、原田種直は、清盛無きあと多くの武士が離反する中
平家とともに最後まで戦います。むしろ平家が逃げ腰でも
原田種直が前線で戦いました。それが、兎丸に脅されて
服従など非礼すぎる扱いです。おそらくドラマでもこれは
後で奇妙なことになるでしょう。「兎丸以下の武力・胆力
の出先機関の悪しき官僚」が安徳天皇と平家
を守り鎮西で孤軍奮闘することになるですから。
まだ、50話前後の脚本を書いていないのでそこまで頭が
回らないのでしょう。

「平清盛」の失敗の本質は、史実の持つ深みを反映せず、
ひたすら脚本家の考えた愛憎やその場の感情のみで人物が
動くことにあると考えます。また考証もこうした脚本を
そのまま受け入れるということは同罪と思います。



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