12/06/10 14:07:08.52 thM0qw3c
>>565
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以前、学界では平氏政権を貴族政権的な性格が強いとする見解が主流であったが、
1970年代・1980年代頃からは、平氏政権が地頭や国守護人を設置した事実に着目し、
最初期の武家政権とする見解が非常に有力となっている。
平氏政権の成立時期については、仁安2年(1167)5月宣旨を画期とする見解と、
治承三年の政変(1179年)の時点とする見解とが出されている。
前者の宣旨は平重盛へ東山・東海・山陽・南海諸道の治安警察権を委ねる内容であり、
源頼朝による諸国の治安維持権を承認した建久2年(1191年)3月新制につながるものと評価されており、
武家政権の性格を持つ平氏政権がこの宣旨によって成立したとする見方である。
一方、後者は、治承三年の政変の際に平氏勢力が従来の国家機構の支配権を掌握したことを重視している。
一般的に平氏政権は12世紀中期から段階的に成立したのであり、仁安2年5月宣旨を大きな画期としつつ、
治承三年の政変により平氏政権の成立が完了したものと考えられている。