12/05/14 21:09:49.23 G97ZiyAg
バランス感覚が優れた(裏返すと優柔不断)鳥羽は、体仁可愛さから崇徳から帝位を奪ったとはいえ、その後も崇徳への配慮は欠かさなかったという。
そして近衛死去時に重仁が後継第一候補だったのは確かなようで、何が何でも鳥羽が崇徳系統排除で凝り固まっていたとはいえない。
崇徳復権を恐れた美福門院=忠通ラインと雅仁即位を狙った信西の策略に、老人特有の衰えが始まっていた鳥羽が翻弄された、というのが一番史実に近いような気がする。
最後の面会謝絶も、死後の乱勃発を見越した治天の君最後の責任遂行というより、信西による措置だった可能性も高い(ドラマで頼長を議定から排除したように)。
ドラマで、悔恨の念を抱いた鳥羽は、清盛に促されて崇徳との和解を希求し、いったんは重仁即位の意思を固めたものの、周囲に翻弄された結果、雅仁擁立という主体的とは言えない決定を下してしまった(そしてまた懺悔)。
一方、絶望の淵へ投げ込まれた崇徳は、清盛の真摯な訴えにも聞く耳をもたず断固和解を拒否した。しかし最後の最後で鳥羽の心情を理解することができ(チチウエ…)面会へと赴いた。
ところが立ち塞がる清盛によって面会は拒否され、親子は永遠のすれ違いに終わってしまった。
このように、鳥羽は崇徳を嫌って徹底的に疎外したわけではないが最後は排除する形となった→叔父子として忌み嫌った(通説?)鳥羽は近衛崩御を機に後悔して崇徳に歩み寄ったが無駄だった、
というふうに改変がなされた。
大河清盛はこのように史実をベースとした改変が多々見られる。これを優れた脚色と見るか許されない捏造と見るかで、評価が正反対となるのだろう。
少なくとも荒唐無稽なファンタジーではない。そして王家パートで描かれた鳥羽の性格描写との首尾一貫性は認めるべきだろう。