12/05/03 10:51:22.59 Wx2zKvSc
新島(山本)八重(主演;1845~1932)会津戦に参加。教育者、文化人。
川崎尚之助(先夫)出石藩出身。会津藩校教授。会津戦のときに行方不明に。
新島襄(後夫;1843~1890)+2 京都で結婚、生涯添い遂げる。同志社英学校創設。
山本権八(父;?~1869)+? 会津藩士・砲術指南役で八重に鉄砲を教える。
会津戦争で死亡。
山本さく(母)+? 権八の死後、八重とともに京都にいた覚馬を頼って移住。
山本覚馬(兄;1828~1892)+17 同志社設立に協力。京都府会議員・初代
京都府議会議長。
横井時雄(義甥;1857~1927)-12 兄覚馬の娘婿。同志社第3代総長。
衆議院議員。
松平容保(1836~1893)+9 会津藩主。明治以後、華族となり東京へ移住。
槇村正直(1834~1896)+11 京都府知事。京都女紅場で働く八重が女学校
への補助金陳情に何度も訪れる。
徳富蘇峰(1863~1957)-18 同志社の学生時代、夫の前で三歩下がらない
夫人八重をぬえとののしる。
円能斎(1872~1924)-27 裏千家13代宗室。八重の茶道の師匠。
高木時尾(八重の親友;1846~1925)-1
斎藤一(1844~1919)+1
土方歳三(1835~1869)+10
山本三郎(弟:?~1868)鳥羽伏見の戦いで戦死
山川浩(大蔵)(1845-1898)±0 会津藩国家老の息子。会津城籠城時は若年寄。
その後明治政府陸軍軍人。
山川捨松(1860-1919)-15 山川大蔵の妹。会津藩改易後、縁あって岩倉使節団
に随行してアメリカ留学。帰国後、薩摩藩出身の陸軍大将大山巌の後妻になり、
「鹿鳴館の花」となる。 また、津田梅子を援助し、看護婦資格を生かして
日本赤十字社でも活躍。
勝海舟(1823-1899)+22 旧幕臣。咸臨丸での帰国後、軍艦操練所頭取を経て
軍艦奉行に就任。 山本覚馬は勝海舟とともに佐久間象山塾に入門 。
新島襄は軍艦操練所にて洋学を勉強。