12/04/09 21:19:14.80 5n7ftOLN
>>505
①同じく出世街道ばく進中の正妻腹家盛の急死で、清盛の棟梁後継者としての地位はようやく磐石となった(危なかった)~清盛個人に関わる環境
②有力者間の男色は政治的ネットワーク形成のための主要手段であり、院政期を特徴づける非公式的な政治文化であった~清盛の生きた時代環境
③史上名高い頼長の性癖に対して強い興味関心をもつ視聴者が多く存在する~現代人たる視聴者環境
男色描写は特定の視聴者に媚を売るためではない。②③からいって、これを扱う歴史上、ドラマ上の必然性すら認められる。少なくとも院政期の理解に資するものだ。
おそらく男色描写はお茶の間への配慮から一回きり。そうするとアクターとしては鳥羽でも忠盛でも信頼でも成親でもなく、このタイミングの頼長しかありえない。
しかし側近の公春では役不足であり、いきなり義賢をもってくるのもストーリーとは連結せず、ためにする色もの描写だと批難されるだろう。
そこで脚本家が選んだ解決策は、家盛を急死(①)に追い込んだ原因を、男色を介した頼長の精神的リンチ(落馬に繋がる)と結びつけることであった。
死因が判明していない以上、捏造批判はあたらない。
基本的史実(抽象化された史実)をベースに巧妙な脚色を施す脚本といえ、歴史的視点とエンタメ性を見事に両立させた力技と評価できる。
家盛の死について根拠を欠く清盛陰謀説をとったならば、前後の整合性を失い完全に破綻しただろう。