12/04/20 02:33:48.78 atbTpXlI
>>418
当時というか平安末期になると、本来の帝の住まいである内裏が火事で焼けてしまい、
立て直すカネが無いので帝は仮の住居に住んでいた。これを里内裏という。
今風にいえば首相官邸が焼けたので、議員宿舎に住むような感じ。
さて、帝がどこに住むかは院が指定するのだが、当時は代替わり毎に住む場所が変わった。
近衛帝の場合は忠通の屋敷である東三条殿に住んでいて、義朝が常盤とくっついたのも、
源氏がお仕えする忠通の屋敷に出入りしているうちに、離れの近衛帝住居に住む常盤と出会ったから。
後白河帝は、同じく鳥羽院によって東三条殿隣の高松殿に住むように決められた。
史実では王者議定の日に新帝の住居もセットで決めている。