12/03/18 00:57:07.12 R6qddoQK
源氏は身内間での争いが激しく、内部粛清の嵐で自らの首を絞めたとも言える
頼家の娘(竹御所)の死によって頼朝の血筋は3代で完全に断絶した
藤原定家が「平家の遺児らをことごとく葬った事に対する報い」と述べているし
都の人間にしてみれば(結果的に)平家寄りの心情が強かったのかもしれん
(定家も壇ノ浦以降も平知盛の妻子と親しく交流があったようだし)
一方、清盛の血筋は娘(藤原隆房室)を通して皇統に流れ込み
現在の皇室にまで繋がっていることを思うと
何をもって源平の勝ち負けとするかは難しいところだな
すべては栄枯盛衰と無常観と言ってしまえばそれまでだけど