12/03/05 00:13:30.84 OWHZWjqG
>>829
当時十騎レベルや数百騎レベル徴収できる武士が都には沢山いた。
その内訳はやはり源姓、平姓のものが多い。
ただし、かれらは為義・義朝や忠盛・清盛の配下にいたわけではなく
独自の立場で有力者に仕えていた存在。
目立つととこでは
源頼政 100騎、源光保 300騎、源親治 50騎
平信兼(動員数不明)、源義康 100騎、源重成(動員数不明)
など
実力で見ると
忠盛・清盛 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
源光保>>>>>>>>>>>源義朝>>>>>>>>>>
源頼政・源義康>>>>>>>その他
ということになる。
当時は忠盛流平氏と為義流源氏という二代勢力にわかれていたわけではない。