12/02/26 21:30:20.55 rSgrfkNQ
まず頼長の行動ですが、時の絶対君主とも言える鳥羽上皇の
面前で拒否の意思を口にし、実行してるのは当時の公家達の
性格からして直ぐに噂になるでしょうな。幾ら摂関家の流れとはいえ。
足の引っ張り合いはお家芸ですからね。後、その面前で座興とは
いえ、武士が謳を読むことなど難しいのではないだろうか。
崇徳への当てつけという要素はわからないでもないのだけど。
後、私貿易の品を洛中に出すのはいかにも有り得ないでしょ。
何処から持って来たと検非偉使がわっと寄って来るのが関の山だと