12/08/21 14:23:15.63 vRHjVldd
源威集の王家の相門は、三位以上に至った在原やら河内源氏以外の諸王の子孫も含むと思われるが
類推からして、王家は臣籍降下しても呼称されうる言葉だと思われるが。
信西にしても、この王命はあくまで儒教的な意味におさまる言葉で、皇室をさした言葉ではないだろう
親王については、文武のときに導入した唐の制度によっているから、基本的に皇族を王家という意味にするということには
ならない。
国内的に皇族が王族としてあったという事実は見当たらないよ
日記にすら、天皇を王というような言い方をしたところはないし、かつての天皇を天皇と表記している部分は見当たる