12/08/21 13:35:41.05 ytA0bEUu
>>893
当時に「武者の世」という概念はない。当事者はそんなことを考えていない。
「北面武士」のように武士という熟語は登場しているが、
現在考えられているような「戦闘を職能とする者の総称」といった意味は持たない。
NHKの学会云々~という説明は西国の学者である考証1が前提。
考証2は東国の学者なので権門体制論には否定的。
>王家を王氏と考えるなら平家も源氏も含まれる。
王氏は「皇子のうち姓を持たぬ者」という定義であり、朝臣姓を持つ平氏や源氏は除外される。
>王命の王なら当時一番偉い人という意味で天皇だが上皇は含まれない。
確かに保元新制の発出当時は後白河親政であるが、後に譲位して後白河上皇となる。
信西は後白河乳父を前提とした院政派であり、「王」は治天の君であれば上皇でも天皇でも許容されうる。
現代に到るも天皇・皇后を除く全ての皇族が「王」を名乗るのが現実。
親王宣下を受けられなかった以仁王でさえ「王」を名乗ることは許される。即位前の後白河は「雅仁親王」、安徳は「言仁親王」。
なお系図に残る天皇の名前は諡号であって存命中は後白河だの安徳だのとは呼ばない。
国内的に王を呼称することと、対外的に王と呼ばれるのは
「天皇」という称号を創設した経緯からして全く別の問題。
異国の蔑視表現によって称号を変えればそれこそ国辱。