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◆「この頃、天皇という呼称はあまり使われず、みかど・
主上、それに「王」が用いられた。
どうして「王家」が登場したかというと、「平清盛」の時代、
天皇イコール「王」だったことが素地になったのです。 」
(MSN産経ニュース 2012年1月24日 本郷氏コメント
URLリンク(sankei.jp.msn.com))
ここでは、本郷氏が擁護のために持ち出してきている用例の
一つずつについて確認をしたい。
まず、花園天皇宸記だが次のような点を明確にしたい。
1 「王家之恥」は、元弘元年だから1331年で
200年ほど後の時代であること。
2 花園天皇宸記の中でも「別記」であって
同じ日の日記が本文にはあること。
別記は、罫線のない白紙に書いてあり、
本文より詳細に書かれている。
このため、必ずしも史料的価値が劣る
ということではないが、おのずと位置づけは
変わると思う。
3 私が通読する限り花園天皇宸記のすべてでこの箇所以外の
「王家」の用例はない。残りは、「上皇」、「先帝」、
「主上」など一般的な呼び方。また、複数の皇族が方違え
などでどこかを訪問する場合も「王家」など当然使っていない。
花園天皇宸記で他の「王家」があれば詳しい方は教えてほしい。
4 私が通読する限り日記を残した天皇の日記すべてで「王家」は
この用例以外一度も使われていない。天皇の日記で他に「王家」が
あれば詳しい方は教えてほしい。