12/01/26 05:10:50.89 rZodtFPg
>>228
>>226の説明に、王家なる概念が登場する余地はないからだよ。
承久の乱で朝廷が事実上滅亡するまで、日本は朝廷の権能を基盤として機能してたんだよ。
そして院政ってのはその朝廷のトップの天皇を院が父権者としてコントロールすることで成り立っている。
平氏は朝臣として天皇を頂点とする朝廷の一員であるとともに、私的に院の家臣でもある。
源氏も朝臣として朝廷の一員であるとともに院のライバルである摂関の私的家臣。
王法を司る朝廷に対して仏法を司るのが大寺院で、彼等は公的に朝廷の祭祀部門を担当するとともに、
私的には荘園領主として朝廷の権能にのっかっている。
これが当時の大まかな構造でしょ。
ここにどこにも王家なる概念が登場する必要性も余地もない。