12/01/13 15:15:40.02 hWJo+iN/
>>611
清盛の時代どころか頼朝の時代になっても、貴族朝廷社会は唯一の政体で
それを無視するなんて発想は政治家は誰も持たなかったろうからなぁ。
頼朝も「征夷大将軍になって鎌倉幕府を開いた」っていう所を過大評価されて、
何か江戸幕府みたいなものを開いたように思っている人もいるみたいだけど、
頼朝はあくまで「京都朝廷はそのままで結構ですから、東日本の植民地にも
ちょっと自治権をくださいよ」という政治折衝を行ったようなものとも言えるし。
現に東日本の「関東御分国」にも朝廷の国司は任命されているし、宗主権は
西側に預けたまま。
だから高橋氏とか元木氏なんかは「清盛はまっこう朝廷権力と戦って政権を
奪取したけれど、頼朝は僻地でこそこそ自治領を作っただけで、朝廷と真っ向
対立することを避けたという見方もできる」と言っちゃうわけで。
まあその後東国の田舎武士団が政争じゃなく武力で圧伏しちゃうんだけど。
「武士のくせに貴族にかぶれた平家」っていうのは江戸時代以降の、サムライが
偉いのは当たり前、っていう感覚になってからできた偏見なんじゃないかと思うよ。
今川義元のお歯黒がバカにされるのとおんなじで。最近じゃむやみと武骨者の
代表みたいに思われてる本多忠勝だってお歯黒していた、みたいなもので。