12/01/07 21:13:19.27 r2Bg9kca
>>906
平氏と戦ったのは頼朝や坂東武士だけではなかったからね。
治承寿永の乱初期に平氏と戦った相手(挙兵順)
甲斐源氏(甲斐)、菊池氏他北九州豪族(北九州)、熊野反平氏勢力(紀州)
義仲及び信濃在地勢力(信濃)、美濃源氏(美濃)、尾張源氏(尾張)
近江源氏および園城寺(近江)、南都(大和)、
石川源氏(河内)、河野氏(伊予)、若狭・越前の在地勢力(若狭、越前)
というように全国各地で反平氏運動が起きたのが大きい。
頼朝は平氏が畿内や西国の敵と戦っていた間じっくり地盤固めできたんだよね。
これは何も平氏が悪というわけではなく、在地豪族間の争いが激化して
平氏に結びついた在地勢力に対する反発という一面もあったらしい。
他の要因としては
治承三年のクーデターで敵にまわした貴族や寺社が多かったこと
養和の大飢饉が起きたこと
高倉上皇が崩御して後白河院政が復活せざるを得なかったこと
最大の荘園領主八条院が反平氏の動きを見せたことかな。
平氏は貿易では利益を得ていたけど
せっかく横領していた摂関家の財産を取り返されたりしたし
荘園という面では優位にたっていたわけではないみたいだしね。