11/12/08 05:45:32.23 ebAypVF9
>>283
>政子が正室でないなら誰が正室だったんだね
公的に正室と見られる妻は不在状態だったということだろう
正室というのは夫と同じかそれ以上の家柄の妻で夫と共住しそれぞれが所有する財産共同管理する妻のこと。
政子は 夫と同住という点だけは「正室」だが、家柄と財産の点で正室の条件がクリアできていない。
政子だけが「妻」だったので政子が「唯一の妻」として頼朝の死後「後家」になる権利を得たということだろう。
>政子が御家人にあんだけ影響力をもてたのも正室だったから
実は頼朝の生存中政子は政治的な活動は殆どしていない。
大姫関連、静の助命、そして頼朝の女性問題に関することくらいしか活躍してない。
女性問題については「妻」としての地位が安定していなかったから余計に大騒ぎして
他の女性を排除してもらわなければならなかったかもという見方も可能。
政子の妻としての地位が磐石ならば頼朝が何人も他の妻を抱えようが泰然自若とできていたはず。
政子が強い発言権を持ち出したのは頼朝の死後
実はこれは「頼朝の妻」という立場より「頼家の母、実朝の母」という立場によるみたいだ。
当時は母親の発言権が相当強い時代だったらしい。
「将軍の母」の権威がメインで
頼朝が他に妻を迎えなかったから「後家」という立場いたというのが付加されたに過ぎない。
>政子は正室で、頼朝は他に正室を迎えることはできなかった
できなかったのではなく、頼朝の自発的意思であえて正室を迎えなかったという見方で
この件に関しては主導権は政子や北条氏にはなかったという見方がある。本郷先生もそう見ているみたい。
>頼朝の貴種性なんて鎌倉幕府のプロパガンダにすぎない
それはあるけどね。
頼朝が挙兵した当時、新田、志田は様子見、武田は同盟者というように
他源氏も頼朝には従ってはいなかった。
源氏諸流の中で頼朝だけがずば抜けて地位が高かったわけではない。
ただし、北条程度とは同格ではない。
東国武士に比べて多少の貴種性はあるけど、後世言われている程の家柄ではないと見るべきであろう。