11/12/12 01:28:30.55 OiR2h0ff
「信長は家康がどうするかテストした」が史実として多数説になっているようだが、
余力ができた時点で信長が命じているところ等、信長の眼にも家康の律儀さが少々
不気味だったのではないか??
秀吉からの「関東国替え」も似たようなところが見える。秀吉も家康の律儀さが少々
不気味でテストしたかもしれん。
本心は「腸が煮えくりかえっていた」としても、ことごとく家康は律儀に徹している。
腹の底なぞ、おくびにも出さずに。それと野心が全くなかったかどうか分からんが、
家康自身「自分はトップの器ではない」との自覚も少々あったかもしれん。
現代に置き換えても、家康のような人間は”鬱”等なんかになりにくい性格者で、
光秀なんかはなりやすかった性格かもな??
とにかく「徳川殿は律儀者」という印象を織豊存命の時代を貫き通した。