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◆超厚遇・日本の生活保護、抜け出せなくなった中国人夫婦の“人生”
生活保護制度の改革論議で、棚上げされた感があるのが外国人の受給問題だ。
日本人と同様に2008年のリーマン・ショック後に急増、その数は7万人を超えた。
年金に加入していない在日韓国・朝鮮人の高齢者に加え、中国、ブラジル
といった「ニューカマー」の定住者らも、失業から間を置かずして生活保護に
行き着く。
来日の目的はいつしか見失われ、生活、医療、住宅費のフルコースがそろった
日本の保護制度にどっぷり漬かって、抜け出せない。
■残留2世、貧しさの末…
来日から20年。そのテレビに日本の番組は映らない。
ベランダのパラボラアンテナを通じて、常に中国語の放送が流れている。
大阪府の府営団地に住む劉志強(リュウ・ジチャン)さん(56)=仮名=と、
王雪春(ワン・シュエチュン)さん(55)=同=の夫婦は中国残留邦人の2世。
およそ8年前から2人で生活保護を受給している。
劉さんは日本語がまったくだめ。王さんはいくらかましだが、日常会話もままならない。
「日本語、難しい。トシ取った。働くの大変」。たどたどしい口調で王さんは窮乏を訴える。
~略~
■「助けて」と強行入国
戦前から戦中にかけて満州などに移住し、敗戦の混乱で中国を抜け出せなくなった
大勢の残留邦人をめぐっては、昭和47(1972)年の日中国交正常化により、ようやく
本格的な永住帰国の道が開いた。
ただ身元引受人を立てることが帰国の要件とされ、帰るに帰れない人が続出。
平成5(1993)年9月には残留婦人ら12人が行くあてもないまま、成田空港に
強行帰国。「助けて」と書かれたプラカードを掲げ、故国に受け入れを直訴する
“事件”も起きた。
これがきっかけとなり、翌6年に「残留邦人支援法」が成立。ここから90年代後半に
かけて、婦人らの帰国が一気に加速した。劉さんの母親もその一人。中国人の夫と
移り住んだ先が大阪の府営団地だった。
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詳細はソース元へ
産経新聞 2013年5月15日
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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