13/12/21 21:50:27.66 GMZ7s0Wc0
>>437
成る程、「理学の普及をもって国運発展の基礎とする」と謳って明治14年に創設された東京物理学講習所は21人の主に東大の卒業生が講師として、
「諸学の基礎は哲学にあり」と謳って明治20年に創設された哲学館には18人の主に東大の教授スタッフが評議員として講師を務め、共に仮校舎で
「実力主義」を標榜して発展したのですね。前者の初代校長寺田壽は東大発足前の開成学校で学び卒業時には発足したばかりの東大を卒業、後者の
創設者で初代館主の井上円了は予備門から一貫して東大で学び共に東大卒。ただ井上円了は明治18年の卒業後、用意された官僚や官学教授の道を辞し
野に下って私学を開いた。理科大は実力主義を貫き専門学校のままあったのに対して東洋は西欧で学問的に確立されていた「倫理学」をそのまま教え、
このことが明治35年に哲学館事件を招き廃校の危機に瀕したためか、旧制大学になって経営の基盤を固めた点が異なります。ただどちらの卒業生も
教員になる人が多いですね。また発足の頃とは反対の文系、理系の学部を共に戦後、埼玉県に創設したしたところも同じですね。確かに…!!
このことから改めて考えさせて頂きましたが、特に明治28年日清戦争戦勝以前の日本人は、官民を挙げて挙国一致で欧米列強の植民地支配に抗すべく
必死に教育による国力向上に努めていたのですね。このお蔭で今日の日本があることに感謝しなくてはと痛切に思います。入試偏差値が恰も大学の
評価であるかのような矮小な視点から脱し、明治期の人々の先見の明や情熱を再興する必要を感じずにはいられません。有難うございました。