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明治時代。まことに小さな学校が、開化期を迎えようとしていた。
小さなといえば、明治初年の、明治法律学校ほど小さな私塾はなかったであろう。
校舎といえば神田小川町の長屋でしかなく、人材といえば留学から帰朝したばかりの岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操ら旧士族しかいなかった。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものをもった。 誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。
社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、教師にも、検事にも判事にも、成り得た。
この学校の明るさは、こういう楽天主義から来ている