12/11/09 18:12:11.23 d+84Q6Wz
そこで、「意思」「心」の問題が大事になってくるのです。
不特定多数とヤリたいのか、ヤリたくないのか。
だからこそ、>>1に「一途」の定義があるのです。
ある男は10人の女を「ヤリ捨て」た。
これはもちろん本人の意思。
一方、ある女は、10人の男に「ヤリ捨て」られた。
本人の意思では10人の男をそれぞれ本気で愛していて、彼女のつもりだったし、捨てられたくはなかった。
これ、ヤった数は男女ともまるっきり同じなんだけど、「意思」「心」の持ちようで全く違ってくるわけだ。
もっと極端な例で言うと、
ある男は10人の女を「レイプ」した。
もちろん本人の意思で、ヤリたくてヤった。
一方ある女は、10人の男に「レイプされ」た。
もちろん不本意であり、ヤられたくないのにヤられた。
これも、セックスの対人数はまるっきり同じなんだけど、「意思」「心」の持ちようで全く違ってくるわけだ。
女が男のようになれば、「レイプされた」じゃなくて、「ヤってくれた、ラッキー」と思えるようになるよ。
もちろんこれは極論な例なんだけど、要するに「物理的なセックス回数」じゃなくて、「したいのかしたくないのか」が大切ということを説明するためにあえて極端な例を挙げました。