12/07/28 00:48:03.77 o7uNx+D+
1534年
明の琉球冊封使・陳侃(チン・カン)の報告書『使琉球録』
釣魚嶼を過ぎ、黄毛嶼を過ぎ、赤嶼を過ぐ。
古米山(今の久米島)を見る。乃ち琉球に属する者なり。
尖閣全体が中国領と、報告書が上がっている。
1562年:明の冊封使・郭汝霖の報告書『重編使琉球録』[
閏五月初一日、釣嶼を過ぐ。初三日、赤嶼に至る。
赤嶼は琉球地方を界する山なり。再一日の風あらば、即ち姑米山(今の久米島)を望む可し
大正島は、琉球との境。久米島(琉球に属する島)まで1日。。
大正島も、明確に、琉球だと書いているわけでもない。琉球との境の島に入った。
と書いているだけ、。
「だからこそ」明治に入って、
日本が現地調査を何度も行った結果、無人島であり、中国・清朝の支配下にもないと確認。
し
10年もたってから、領土に編入したわけだ。
「その時、中国の支配下に無かった」と何回も確認するまで、日本領土との自身が無かったわけだね。