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この頃から義和団の乱が勃発。外国人支配に憤慨する中国人が外国人の土地や
建物、施設を襲った。公使官員も襲われた。そして義和団の動きに流された
清国政府が列強各国に宣戦布告した。
日本以外の外国は本国まで遠く、急には大軍を送れない。結局、日本が8カ国
連合軍の総兵力2万人の大部分を送る羽目になった。ロシアを含む列強は日本を
踏み台に、満州に駐屯軍として居座る口実ができたのである。
19世紀末の日中は列強の陰謀と戦争の舞台でしかない。謀略だけが他国に対する
意志であり、侵略だけが国家の欲望であった。
ニコライは「日本との戦争は有り得ない。なぜならば、私が戦争を欲しないから」と
平然と言った。日本にはロシアと戦争をする力などない、従って、ロシアが欲しない限り、
日露戦争は起こりようがないからだ。
「日本と戦って得る物は、日本列島ぐらいである。得たところで海を隔てて
列島を支配するのは困難だ。猿を治めるのにも手を焼く。米以外の産物がなく、
資源もない。列島を獲ったところで引き合うものはない。
ロシアの他の大官も、日本まで奪ろうと思っている者は一人もいなかった」
(ロシア大蔵大臣ウィッテ)