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多くの場合は『偏見の目で見ないでほしい』という意味での『理解』です。
一方で、何事も金がかかりますし、
学校などでの受け入れについては、断らざるを得ないこともある。
でも、障害を持つ方やその親御さんからすれば、
これも差別と思えてしまうことは悲しいながらあると思います。
障害のあるなしに関わらず、お互いの立場を理解しあうこと、これが大事なのでは思います。
知人の奥さんに障害をもち、車椅子をお使いの方がいます。
彼女はとても『ありがとう上手』です。
本人が求めなくても、自然と力を貸してあげたくなります。
なにかをしてあげて当然、してもらって当然という考え方ではうまくいきません。
「こんなことしかできないけれどごめんね」
「こんなにしてもらってありがとうございます」
お互いの「これぐらいは力になりたい」と「ここまでしてもらった申し訳ない」が重なった部分だけ、
そこに心を暖かくするものがあるのではないかと思います。
理解というのは何かをわかった気になることではなく、
わかろうとすること、自分がわからない部分があることを自覚すること、
ではないでしょうか?