12/01/06 23:01:52.16 0jEOOcV7
『敵に塩を送る』
これは上杉謙信がライバルである武田信玄に塩を送り、例え敵であっても困ってる者には手を差し伸べる義侠心の厚さを語った言葉である。
しかし、そもそも武田信玄が塩が無くて困ったのは、駿河(静岡)の今川氏との不可侵条約を破って、その領土に攻め込んだからである。
あの桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に討たれ、武田信玄は弱体化した今川氏の領土に狙いをつける。
しかし信玄の息子は今川義元の娘を娶っていたために、今川氏を攻めるのに反対する。
信玄は、その息子を幽閉し自殺に追い込み、不可侵条約を一方的に破って今川氏を攻撃。
今川氏は報復措置として、武田への塩の輸出をストップ。
山国で海が無い信玄は塩不足に陥る。
完全に自業自得である。
しかし義侠心に溢れる上杉謙信は、この不義理な信玄に塩を送り支援。
戦国大名としての今川氏は終焉を迎える。
が、結局、信玄は今川氏の代わりに台頭してきた徳川家康や、同じく今川氏と同盟していた関東の北条氏康を敵に回すこととなり、四方が敵だらけとなる。
余計な事をした上杉謙信ともども、周囲の敵と消耗戦を繰り返している内に織田信長が台頭。
謙信も信玄も天下に覇を唱える事なく、その生涯を終える。