11/11/23 19:20:28.11 V75FTpX8
ひとりの人間を完全に救うなんて離れ業は一点の曇りもない信仰心にのみ可能。
どのみち俺ら他人は間接的で不完全な手助けをするほかない。そこで
相手をどの程度においてまで救ったかの議論にはほとんど意味がない。
それぞれ立場がある。関係性がある。はなから限界がある。
オール・オア・ナッシングで考えるなど思い上がりもいいところだ。
自殺を邪魔された人間は、声を掛けられた天涯孤独の人間は、
避難所の小さなテレビで全国から寄せられた義援金の総額を目にした人間は、
あるいは、その見ず知らずの善意に胸を打たれたかもしれない。
足の小指の第1間接あたりまで救われたかもしれない。
どのみちそんなもんだ。そんなもんだが、ないよりマシだ。
誰かを丸ごと救うことはできぬ。だが、その手助けは誰にでもできる。
>>93
まったくその通りと思う。