11/11/08 11:19:32.19
句会の様子とか、百首読み競争、早読み合戦とか、俳句のことまったく知らんのなあ。
お題が出てみんなで首ひねりながら読んで、それを講評したり、手を加えて
何度も推敲、お師匠や句仲間から採点されて句の出来・不出来がきまるんやで。
まして頭に浮かんだことをそのまま書く、それが俳句って(笑)。話になりまへん。
まして関西におんなら西鶴を知らんのは恥やで。西鶴は1日で二万三千句も読んでるように
自分の内面発露や知識から句作をするのも俳句や。
そんで、西鶴の句は抽象的だったり哲学的だったりで難しい。ぷっと思いつきを読んでるんやないで。
「ふと目にした光景」を読むのが俳句て決めつけてるのは、俳句に芭蕉の
イメージしか無いからやろw? だいたい「奥の細道」って、原本は推敲だらけ
名句とされる句もあとから江戸や別の場所で読んだとされるのもあるし、同行した
弟子の日記から、虚構も多いことがわかってるんやで? 芭蕉はむしろツイッターなんて
自分の創作スタイルと合わんから使わんと考える方が自然でっせ~
URLリンク(www.wanogakkou.com)
URLリンク(www.town.hiraizumi.iwate.jp)
kentaro666 竹熊健太郎(京都)
俳句って本来Twitterと同じ機能を果たしていた表現だよね。ふと目にした光景や、
ふと頭に浮かんだことを手元の紙に書き留めるという。川柳も含めて。松尾芭蕉が
iPhoneにTwitterアプリ入れて旅したら、傑作が生まれそうだな。